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 創建当時このお寺は広大な規模  
    で、一対の七重塔を建てる東大寺  
    式の伽藍配置であったといわれま す。  開基は行基菩薩で、同菩薩作と  
    いわれる薬師如来像が本尊です。 のち天正年間(1573-91)、長曽我  
    部軍の兵火によって鳥芻沙麻明王 堂をのぞいてすべて焼失しまし  
    た。このお堂は5,600年以上を経 たお堂で、本堂が再建されるまで  
    は仮本堂となり、現在でも本堂と  
    大師堂の間に建っています。宗派  
    もはじめは法相宗でしたが、弘法  
    大師によって真言宗と改められ、 寛保年間(1741-93)曹洞宗に改宗  
    されました。   |  
    このお寺は、のどかな田園風 景の中に、かっての大寺の面影を 残す本堂を望むことができます。 石橋を濃り山門をくぐると、由緒 ある寺にしては荒廃のはなはだし い境内の正面に人母屋造り二層の 本堂、その手前右に大師堂、左に 鐘楼があり、いずれも江戸時代以 降の再建です。 境内には近くの田園から掘り出 された七重塔の礎石があります が、これは創建当時2Km四方に及ぶ 広い境内に、立派な七堂伽藍を配 置したすばらしい大寺院をしのぶ 唯一のものといわれます。 聖武天皇は天平13年(741)詔を発 して国ごとに国分寺、国分尼寺の いわゆる国分2寺を建立されました がこのお寺は阿波の国分寺として 創建されたもので、四国88力所霊 場には四国の国分寺がすべて揃っ ています。  |