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 和銅元年(708)行基菩薩が奈良  
    の東大寺大仏勧進に先だって、四  
    国を巡行された時、この地に立ち  
    寄って、この地が仏法布教の適地  
    であると感じられ、伽藍を建立し  
    て本尊の薬師如来と日光・月光両  
    菩薩、さらに十二神将を刻んで安 置しました。  その後弘仁3年(812)弘法大師  
    がこの地を訪れ、堂宇を修復して  
    薬師瑠璃光如来にちなみ、浄瑠璃 寺と号し第46番の霊場に定められ  
    ました。  室町時代に入って伊予荏原の城  
    主平岡道倚が土地を寄進して荒れ  
    ていた堂宇を再建しましたが、元 禄年間(1688‐1704)付近の山火事  
    の延焼で本尊、脇仏、須弥壇が難  
    をのがれたほかは一切を焼失しま した。その後寺の復興が住職に  
    よって計られましたがなかなか達  
    せられません。これを見て村の庄 屋の出身である堯音老師は発奮  
    し、全国を勧進して歩き、天明4年 (1784)本堂その他の堂宇が再建さ  
    れました。堯音は社会事業家でも  
    あり、立花橋の架橋その他さまざ  
    まな功績を地元にたてています。  |  
     いよいよ松山市に入りました  
    が、この市内には浄瑠璃寺のほか  
    に八坂寺、西林寺、浄土寺、繁多 寺、石手寺、太山寺、円明寺の8力  
    寺があります。  浄瑠璃寺は石鎚山脈を越えた三  
    坂峠の下にあります。石段を上が  
    り境内に入るとすぐ右に鐘楼、左  
    に庫裏が建ち、正面に本堂、右側  
    に大師堂が並んで建っています。  
    境内には、「永き日や、衛門三郎 浄瑠璃寺」の正岡子規の句碑が  
    建っています。   |